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心理士を目指す人の特徴

一昨日、2学期の教科書が届きました。

・自然科学はじめの一歩(’15)
・心理カウンセリング序説(’15)
・比較認知科学(’17)
・社会学入門(’16)

の4冊です。それに付け足して自己学習用にメルカリで3冊購入。

・『古事記』と『万葉集』(’15)
・哲学・思想を今考える(’18)
・歴史と人間(’14)

です。他コースの科目は基本的に自己学習だけにするつもりです。教科書を買って授業を視聴するだけで、単位認定試験は受けません。124単位の内20単位は面接授業かオンライン授業でなければなりませんが、残りの104単位、つまり52科目は基本的に公認心理師の科目に沿って取るつもりです。といっても、私は公認心理師にも臨床心理士にもなるつもりはありません。あったとしても放送大学では現実的に考えて演習と実習が受けられないので無理です。なぜなら、演習・実習を受けることができる定員がたったの30人だからです。定員30人に対して一体何百人が選考試験を受けるのか。とんでもない倍率になるのは容易に想像されます。もし私が今後思いが変わって公認心理師を目指すとしたら、地元の、公認心理師課程がある大学に編入するでしょう。それが一番現実的だと思います。

「悩んでいる誰かのために心理士・心理師になりたい」という人は多いと思います。特に、AC的な生育歴がある人に多い気がします。誰かを助けることによって自分が救われる。誰かを助けることによって自己肯定感を得る。それって、クライアントを都合よく自分のために利用しているだけではないかと思うんです。私はいろんな心理士や精神科医や看護師を見てきました。その中には自分の抱える問題をクリアできていない人もいました。特に看護師さんに多いという印象があります。ある看護師さんが言っていました。「患者さんが“ありがとう”って言ってくれるからなんとか出勤できている」と。その人はうつ病で障害者手帳2級です。重い鬱を患いながらも、内科のクリニックで働いているといいます。「注射とかするじゃない?終わったら患者さんが“ありがとう”って言ってくれるの。“ありがとう”って言ってくれるから、鬱でも体を引きずってでも、明日も行かなきゃって思う」と言っていました。自己肯定感がない。誰かに“ありがとう”と言ってもらって初めて自己肯定できる。話を聞けば虐待家庭の出身であることがうかがわれます。私がその看護師さんに出会った場所はデリヘル店の待機場所でした。私は19歳の時に2ヶ月だけデリヘルで働いていました。激鬱で離人症状も強かったですが、なんとか出勤していました。なぜか、夜の業界(風俗も水商売も)にはどこの店に行ってもバイトの看護師の人がいるのです。その実情から、看護師を目指す人の中には自己肯定感が非常に低く、幼少期の虐待を(特に性虐待を)成人してからも繰り返してしまう人が少なからずいるのではないかと思いました。風俗・水商売は言ってみれば自傷行為です。私自身も夜で働きながら、幼少期の虐待状態を再現しているだけだなと、自分を客観的に見ながら思ったものです。抜け出せない虐待の泥沼。成人しても自分を傷付ける行為を繰り返してしまう。

私が心理学、特に臨床心理学を学ぶのは、自分の抱える問題を解決する一助となればと思ったからです。でも、最近考えたのは、この<自分の抱える問題を自分で解決する>というのも結局は「他人に頼れない」というだけのことなのだろうなということ。精神的に健康な人の多くは他人に頼ることができるらしいです。他人に頼るという能力がある。他人に頼ってもいいのだという感覚が生育過程で育まれているらしいです。

私は中学1年生の時に心理学というものに出会いました。学校の図書室に大衆向けの心理学の本が置いてあったのです。それにはジョハリの窓だとかルビンの壺だとかロールシャッハテストなどについて、平易な文章だけれどとても興味深く書かれていました。そして高校生になると河合隼雄先生や香山リカさんなどの本を読むようになりました。臨床心理学との出会いです。高校を卒業したくらいのタイミングで県立図書館が新装建設されたので、そこにあった臨床心理学の専門誌を読むようになりました。

臨床心理学は私が生きるために必要な学問です。生存するために必要なのです。

しかし、私は元々日本文学や芸術が好きなタイプの人間なんだろうなと思います。ACとして育っていなければ、多分そちらの方面の学部に行っていただろうなと思います。だから、人間と文化コースの科目については趣味がてらの自己学習を続けていきたいです。

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